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最高裁判所第三小法廷 昭和22年(れ)151号 判決

主文

本件上告を棄却する

理由

辯護人前野順一上告趣意書第一點は「重大な事実誤認を疑ふに足る顕著な事由あること 一、財物領得の意思と領得の事実 原判決は本件を以て被告人が他の二名と共に河端実に暴行を加へ衣類等を強取したものと認定し之を認定する重要な證據として被告人李金錬、第一審相被告人渡辺快三、同阿部義清に對する檢事の聽取書中原判決が認めた事実と同趣旨の供述があることを擧げ、其の他犯罪現場の位置、暴行の行はれた時の情況の一端を證明すべき證言及被害者の供述とを傍證として居る、而して之れ等の傍證は一として本件強盗の事実を證明すべき有力な直接のものでもなければ、又被告人李金錬そのものがやったということを推定する資料でもない、從って本件各共犯者本人の供述のみが重要な證據であるといはねばならぬ、右檢事の聽取書を見ると、被告人の同聴取書、四、私はその男を突き飛ばした、上衣とチョッキとマフラーを剥ぎ取った、五、そのとったものを引揚げる途中で渡辺に渡したといひ、相被告人渡辺は、四、中村も私と一緒に一、二回毆った、中村が上衣云々を剥がしたといひ、相被告人阿部は、四、中村がチョッキ云々を剥がしたといって居る、叙上の供述は本件記録の全般と吾人の經驗則とに依り首肯し得ないものがある、凡そ事実の認定は事物の具體的經過と、關係者の陳述とを綜合して、吾人の經驗則に從ひ道理ある判斷に依らなければならない、更に、刑事被告事件に於ては先づ被疑者を拘禁し、司法警察官が之を訊問しその聽取書に基き檢事が訊問する、それ等は総て強力な威壓の下に而も何等の防御的手段のない被疑者との間に行はれ、強度の不安の裡に訊問を受けるのである、その事は公判廷に於て行はれるものとは全く趣を異にするものであることはいう迄もない、本件は泥醉した被害者が泥醉した三人の爲に暴行され、三人の中の一人は取った物を持ち逃げ去った後、被告人李がフラフラと歩いて居たので、被害者がつかまへて交番に引張って行きその際は何等の要領を得ないで釋放された、其の後で先づ相被告人渡辺が擧げられたものであるという事実は動かし得ないところである、そこで右渡辺が犯した事実は明瞭なところから被告人李も共同でやったであらうと推定せられ乍ら司法警察官及檢事に訊問されたであらうということも推察に難くない、そんなことから司法警察官の聽取書が作成せられたので、その信憑力も必ずしも妥當なものとはいひ得ない、それを前提とした檢事の追及は相當強かったことと想像せざるを得ない、又被告人の否定や辯解も容易に容れられなかったということは例外のないことである、されば、相被告人渡辺は原審で證人として「被告人李は毆ったと思ふが、剥がしはしなかったと思ふ、自分が剥がして渡辺に持たせ、後自分がそれを受取って他にかくした」といひ、後更に裁判長の重ねての訊問に對しても「中村はマフラーやチョッキに手を出さなかったと思ふ、私が取り、持ってくるように云ったと記憶します」といって、右聽取書とは異る陳述をして居るのである、即ち暴行の事実は姑く措き少くとも財物領得の點について見れば、右渡辺が取った後の處分についても何等の話合もなかったことより推測して果して被告人李が右財物を領得したものと見るべきかは直ちに右檢事の聽取書のみでは明瞭とはいひ得ない、況や共犯者等は総て被疑者として拘禁中に於て供述したものであるに於てをや、更に領得の意思について之を見るに被害者も三人の共犯者も非常に泥醉して居た事実は、被害者が當時の事実につき明瞭な記憶のないこと、比較的醉って居なかった相被告人渡辺さへも同様記憶が明でないことより推測し得るのみならず、被告人李は泥醉中の喧嘩なので、渡辺等が去った後、その辺りをフラフラして居た、そして被害者は寒中裸にされたので醉も稍さめ、被告人を交番に連れて行った、若し被告人がその時、檢事聽取書末尾にあるように意識十分であり、財物強取の意思で、そんなことをしたのであったならば、泥醉した被害者に引張られるなど考へられない、必ずや振り切って逃走した筈である、唯醉っ拂ひの喧嘩が大きくなり、裸にする處迄いった、そこであまり醉って居ない渡辺が財物を持って逃げたというに止まり、泥醉者の被告人にも領得につき意思決定乃至渡辺との間の意思連絡があったものと認められる何等の證據もない、又更に相被告人渡辺が領得した財物につき被告人李は何等の關心も持って居なかったことは記録上も推定し得るところであって、當時渡辺が持って行ったことについても記憶に判っきりしない、そして亦それについての處分につき、三人の間に話合のあったこともない、これ等の事実に徴するも被告人に財物領得の意思のなかったことが明である、前にも述べたように原判決擧示の各證據は拘禁中の三人の供述のみを證據としたもので、他の傍證なるものは、少くとも被告人が財物を領得したという事実については何等の傍證を爲すものではない、左様な自白を採って、犯罪を認定し處罰することは憲法が自白のみでは罰せられないという精神にも反する、そのことは本項の初めに述べたところよりも理由付けられるので茲に再述を省略する、二、心神耗弱者であること 原判決は理由末尾で辯護人中野峯夫の「當時心神耗弱者であった」との主張に對し「被告人に對する檢事の聽取書と、原審證人渡辺快三の供述に依り之を認め得ない」といって居る、檢事の聽取書に依れば「どの位飮んだか正確にはわかりませんが酒五合燒酎一合ビール二三本は飮んで居ります、時間をかけて飮んで居りますので何も判らなくなる程醉っては居らず自分の行動については充分判って居るのであります」といひ、證人渡辺は「私は前後不覺になる程醉っては居りませんでした、中村は私や阿部よりも醉って居り前後不覺という程ではありませんがそれに近い程醉っていました、中村は酒亂の様に思ひます」といって居る、この二個の間に矛盾がある、前者は行動が判っきり意識し得たといひ、後者は前後不覺に近い程だったという、正に正反對のことである、而も檢事の聽取書を見ると、三人の共犯者を同時に取調べ、この點については同様の形式で、自分の行動は判っきりしていたと供述が記載されて自然的に流れ出た供述とも思はれない憾がある、而も亦被告人の原審公判廷での供述でもわかるように、被告人は病弱で酒、ビール、燒酎などを混用すると二時間位で意識が不明となる、量は酒二合位、ビールはヂョツキ二、三杯、燒酎一、二杯の程度で泥醉するといって居る、その夜の飮酒の状況は所謂梯酒で相當多量に、而も混用して飮んだことも明である、檢事の聽取書中「自分の行動については充分判って居る」と記載されて居るけれども、その調書の全體を通じて果して、それが矛盾なきものと考へ得られないものがある、更に心神耗弱の状態については前後不覺所謂意識不明の一歩手前の状態であって、若し、前後不覺であったならばそれは犯意を阻却するものである、本件は證人渡辺のいう様に前後不覺に近い泥醉状態であって、酒亂の状態になるのも亦それである、證據の採用についても原判決はすべて、重要な點は當時泥醉して居た被告人李、相被告人渡辺、阿部及被害者の供述のみに依って居る、財物領得の點にしろ心神耗弱の點にしろ斷罪上重大な問題がそんなあいまいな供述に依って認められるということは全く重大な問題である、もっとしっかりした者の證言供述に依ってのみ真実が発見せられるのである、私が被告人李にその際誰れか居なかったかと聞いたところ、交番に行ったとき、自分の知って居る岸という者がどうしたのかといって來たように思うというので、その者をさがしたところ有樂マーケットの岸清太郎という者だったことがわかった、その者を調べれば當時の状況少なくとも被告人の泥醉の状況がわかると思はれる、私は本件で原審が擧げる證據では被告人が心神耗弱の状態でなかったと認めたのは失當であると考へる」というのである。

しかし原判決は被告人に對する檢事の聽取書の外原審證人河端実同田辺三代吉の各證言竝に巡査新津祐二同橋本明両名共同作成の捜査復命書及び第一審の共同被告人渡辺快三同阿部義清に對する檢事の聽取書を引用しこれ等各證據と被告人に對する檢事聽取書とを對照して判示事実を認定したものであることは原判決理由により明らである。按ずるに、檢事に對する被告人の陳述と共同被告人の陳述とは、別個に取あつかわれるべきものであって、共同被告人の檢事に對する陳述は被告人の裁判外の自白と同一視すべき性質のものでないから、共同被告人等に對する檢事の聽取書竝に前記各證言等を引用して判示事実を認定した原判決に對し、被告人の自白のみによって事実を認定したという非難は當を得ないものである。そして原判決の擧示した各證據を綜合して判斷すれば判示事実を認めるに充分であり、且つ原審がこれ等證據を採用したことについては何等採證法則違背があったことは認められないし、檢事聽取書に對する信憑力についての論旨は畢竟事実誤認を主張することに歸し上告理由として採用することはできないものである。次に論旨は原判決が示した説明によれば原判決の判斷とは逆に被告人は心神耗弱者であったことを認められると主張するのであるが、原判決のなした説明に關し記録を調べて見れば、原判決の示した判斷は正當であって所論の如き矛盾があることは認められない。そして原審において被告人は心神耗弱者でないことを判斷するに當っては刑事訴訟第三百六十條第二項により其判斷を示せば足りるのであって、これに對する證據説明をする必要はないものである。從って被告人は心神耗弱者でなかったと認めることについての證據説明に對する非難は理由なきものである。(大審院昭和二年(れ)第二六四號事件判決、同昭和八年(れ)第二一五號事件判決参照)

第二點は「刑の量定著しく失當である、本件は醉っ拂同志の喧嘩であって、少くとも被告人李については泥醉の状態もひどく、財物を剥がしたことさへもよく知らない、又被害者が交番迄連れて行くという程の事実である、強盗でなく心神耗弱の状態の裡に行はれた暴行々爲である、或は原審通りに認定するとしても事案の全體から、又被告人李が酒を飮まなければ真面目で未だ一度も間違をやって居ない事実からして三年の実刑は重過ぎる、私は刑の執行を猶豫するを妥當と信ずる」というのである。

しかし量刑が不當であるということを上告理由とすることは日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十三條第二項により許されないものであるから論旨は採用しがたい。なお辯護人前野順一は繹明書と題する書面を提出したが公判終結後に提出した不適法のものであるから採用することはできない。

よって刑事訴訟法第四百四十六條により主文の如く判決する。

以上は裁判官全員一致の意見である。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上登 裁判官 庄野理一 裁判官 島 保 裁判官 河村又介)

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